2018/05/07
大学入りたての頃、サークルを悩んでいた
演劇部だったので演劇をやろうとは思っていつつ、
当時芸人になりたいと思っていた僕は、
好きな芸人の出身の、早稲田のお笑いサークルに入ろうと思っていた
そんな中、教室の外で漫才をやっている人たちがいて、
聞いたことないテーマで漫才をしていたことと、とても楽しそうにしていて、狂ったようにキラキラしていた
「もう一回、ライブ見に行きたいな」と思い、午後教室でライブをやっていたのでそれを見に行き、
めちゃくちゃ面白くて木曜会に入ることを決めた
その漫才を見たおかげで、大学4年間めちゃくちゃ楽しく過ごすことができたし、見てなかったら演劇を言い訳にお笑いから逃げていたんじゃないかと思う
その先輩はいつもかっこよくて、仲良かったことは言えないけれど、コソコソと僕は背中を追い続けていた
そんな先輩が先月亡くなった
年が近い人が死ぬというのは僕にとって
初めての経験だったのだけれど、
僕は人が死んだら、とても悲しい気持ちになり、まるでおおきな地震が起きた時のように、目の前の景色が変わってしまうんだと想像で思っていた
けど、全くそんなことなくて、
むしろ実感が湧かなくて、
いつか、サークルのOBの集まりなんかにひょこっと現れるんじゃないか、と思ってしまう自分がいる
「死んだの?ホントに?」って感じだ
「ボケでしょ?」くらいの
この前、お焼香をあげに行ったのだけれど、遺影を目の前にしても、不思議とその気持ちは変わらなかった
「なんで死んだんだよ」という感情と「らしくないボケですね」という気持ちのハイブリッド
ただその日だけは、ずっとその人のことを考えていた
このハイブリッドの気持ちも、時間が経つと、だんだん保てなくなってしまい、その人のことも風化してしまう。
誰もが聞いたことのある「そいつが生きれなかった分頑張って生きなきゃいけない」というベタベタなことを目指すと、その人のことを忘れていくという寂しい矛盾
お焼香をあげた日、不謹慎だけどみんなその人のことを事あるごとにいじっていた
気持ちを整理する意味もあるけど、
マジで普通に生きていたら、その人のことを忘れてしまうし、何より「面白い人が報われなかった」ことがつまんなすぎるしやるせないので、
せめて、言葉にして、不謹慎だろうと、その人のことをめちゃくちゃいじっていこうと思った